▼共産党県議の議会質問というと昔は、各社の記者らは警戒して臨んだことを思い出す。昭和58年から4年間は落選して同党県議の空白期間だった。当時自民党の中で、2・26事件を起こした一団にちなむ〝青年将校〟の異名を付けられていた田中亮太県議(のち亀山市長)がオール与党の議会のなれ合い運営にいらだち「やっぱり共産党がいないとダメだな」と言ったことがある
▼豊富な情報量と分析力で、共産党県議の質問は何が飛び出すか分からない緊張感があった。同党県委員会が県議と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関係についての調査結果を発表した。9人が行事に関わり、うち3人が会場への移動費を政務活動費から支出していた。前野和美議長の報道陣への説明に妙な開き直り感を受けたのはこの結果があったからか。いわゆる「オレばかりじゃないよ」
▼自民党が6県議で、新政みえからも3県議。前野議長の場合、新たな4件が指摘された。次々新事実が判明するのは党中央と共通する。指摘されるまでは口をぬぐっていようというのが議員気質というものか
▼先の県議会で旧統一教会関連は一人会派の県議が質問しただけなのはこのせいか。これから判明する分があるかどうかも含め、うかつに取り上げられなかったか
▼共産党県議か議会に復帰した昭和62年以降も同党県議は孤立し、自民党以上に旧社公民の野党系県議から嫌われた。背中から弾丸が飛んでくるからだ。冒頭の田中県議の思いを共有する県民は多かった。同党県議がはつらつとした存在感を発揮していた時代だった。