伊勢新聞

2022年9月27日(火)

▼刀は武士の魂、と言われるが、他人の刀と間違えることも少なくなかったらしい。本紙『古文書のなかの横顔』で、歴史学者の尾脇秀和さんが、現代の傘の取り違えに例えている

▼天明8年(1788)というから江戸幕府開府から185年。武士気質も緩んできたか。評定所での取り違いの報告を受けた町奉行が同役と相談し、目付衆と協議し、与力3人が翌日、評定所にいた11人に回状を回し、名乗り出た武士に始末書を、本人には受け取りを書かせている。お役所仕事の方は定着していったのだろう

▼のちには脇差しがすり替えられても自分のものと偽って早期解決を優先し、公儀も見て見ぬふりをしたという。今日の役所に似ている。刀の位置づけについて、6日死去した作家の神坂次郎氏も『元禄畳奉行の日記』に書いている。こちらは艶っぽい

▼商家の女房に通じていた尾張藩士が不意の亭主の帰宅に刀を置き去りにして逃げだした。亭主は怒ったが、相手は武士。大小や小物を人通りの多い場所にばらまいた。評判になり「公儀に達した」。大いに面目を失ったのだろう

▼当時、色恋沙汰が特に尾張藩には多いと滝沢馬琴も驚いていたというが、事件として現われたかどうかにもかかっていよう。県庁なども、自殺や殺人、偽装離婚、セクハラなど頻発していたが、最近聞かなくなった。県庁担当から外れたからに違いない。県教委も相変わらず事件になっているが、教員同士の話は聞かなくなった

▼へっぴり腰で腹を切る武士も多い中で、女房の方は勇気凜々。けろりとして明るい、と神坂は書いている。