伊勢新聞

2022年9月22日(木)

▼新型コロナの感染で死亡した自宅療養中の90代男性について、県は20日「健康観察の際は入院の基準に該当しなかった」。コロナ関連で連日死亡する高齢者に対し、県はまた、聞き慣れないことを言いだした。だから、どうだというのだ

▼自宅療養者について、一見勝之知事はコロナ感染者の全数把握をやめるに際し「必ずしも自宅療養者の数を把握する必要はない。重症者や容体が急変した感染者の対応をしっかりすれば良い」。大見え切った後段部分と観察で入院基準に該当せず死なせた現実とで矛盾しないのか

▼具体的には、男性は自宅療養中に意識がないのを家族が発見し、救急隊が死亡を確認したという。「容体が急変した感染者の対応をしっかりすれば良い」という知事のコロナ対策方針が破綻したことを意味するのではないかということである。あるいは、観察の際の基準に欠陥があったか。いずれにしろ「該当しなかった」で済ます話ではない

▼コロナ禍で、つくづく県の高齢者に対する冷たさを感じるのは、筆者だけか。敬老の日に関連しても触れたが、社会的弱者であり、ステイホームの模範でもあろう高齢者への観察、目配りが行き届いている気がしない。100歳代はもちろん、90、80代が死んでいくことに違和感を持たない気風さえあるのではないか

▼高齢化社会といわれて久しい。県の高齢化率も高いが、それに伴う活動の場はあまり変わらない。いまや県OBさえ第二の人生に心を悩ます時代だ。活力や意気込みも失われていく。それが社会全体に広がるのが高齢化社会なのかもしれない。