伊勢新聞

2022年9月20日(火)

▼「敬老の日」と言えば、知事の高齢者訪問に随行した昔を思い出す。市町村長もそれぞれ実施し、ほかに幹部らも手分けして100歳記念の銀杯授与などに訪問した。この日の前は高齢者にちなむ記事が新聞にあふれた

▼見かけなくなったのはコロナ禍のせいが大きいのだろうが、思えば平成13年のハッピーマンデー制度の開始にさかのぼる気がする。3連休を増やすことで余暇を増やし、観光業や運輸業などを活性化させる制度。国民の厳粛な記念日より、豊かさや経済、効率を優先させる考え。記念品の銀杯が純金からメッキに変わったのは2年後だ

▼東京五輪・パラリンピックの祝日の移動で、休日が何の日なのか、何を思う日なのか分からぬ世相になった。特に敬老の日は老人会などの反対で別に老人福祉法に記念日として15日を「老人の日」が設定され、二重行政となって、忘れられた祝日になっている

▼敬老の日は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」趣旨。老人の日は「国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意欲を促すこと」。区別する意味があるのか

▼コロナ禍で、連日高齢者の死亡が伝えられる。死因がコロナかそうでなかったか、県は毎回区別して発表しているが、こちらの意味も不鮮明。高齢者の感染リスクに注意を呼びかけるが、感染者数や病床使用率を減らすのが主目的

▼高齢化先進県として、長いこと高齢化対策は顧みられない。少子化対策と本来は一つ。コロナ禍はその分断も浮き彫りにしている。