伊勢新聞

2022年9月5日(月)

▼「コートを肩に新聞記者帰る」だったか。昭和初に活躍した著名な新聞記者の句という。知ったのはずっと後年の後輩の記者の著書でだが、帰る先は家ではなく、新聞社だという解説があった。駅裏の飲み屋で酔いつぶれ、人通りの少なくなった街灯の下を歩く白黒の映像が浮かび、駆け出しのころかっこいいと思ったものだが、今なら家庭はどうなっているんだ、何て不健康な、勤務時間は―などと言われるに違いない

▼「会社」が「社会」だったころの話。何をしているのか分からない連中が年中ごろごろいたなどとも言われたが、どこにでもいた彼らが一掃され、効率一点張りの世になる中で、猛烈社員が生まれ、映画界と新聞社が合体したようなテレビ界になっていったのだろう

▼三重労働局と県内報道機関との懇談会で、総務部門から異動したというNHK総局長は残業について「(過労死ラインの)80時間などはとんでもない。実際はその数倍」と話し、会場を笑わせながら急速に改善させた苦労を語った。NHK女性記者の過労死認定を知ったのはそれから後で、四年間も非公表。理由を遺族の希望などにしていた実態が明らかになった

▼そして六年後、公表から二年後の令和元年、同じ職場でNHKの管理職が死去しこの8月、過労死認定された。先の女性記者の過労死公表時に発表した「働き方改革宣言」が空文化する。映画界のパワハラ・セクハラ、過重労働や芸能界の不安定労働が指摘されるが、世界を共有するテレビ界もまた、に違いない

▼その雄であるNHKが、ブラックでも雄ということか。