伊勢新聞

2022年7月30日(土)

▼県の長期計画「強じんな美し国ビジョンみえ(仮称)」などの最終案に対し、県議会が「県民に分かりやすく」と要望した。3月の概要案に続いて二度目。一見勝之知事は「(計画から)漏れているものがないかを最も気にしていた」

▼県が計画策定や予算編成で総花的、すなわち「漏れがない」ことを第一にするようになったのはいつのころからか。かつては目玉事業へのこだわりとセットだったが、目玉事業の方はどんどん目立たなくなり、漏れを追及されること、すなわち責任を問われることに神経をとがらせるようになった。何でも盛り込まれているが、塩漬けの事業が増え、顧みられることがない

▼議会が「長期計画の名称に『しなやか』を入れるよう要望。県は「『強じんな』の意味に含まれる」と拒むのは象徴的。県民への分かりやすさを基準にする議会と、自分らの仕事に漏れがないことにこだわる県との違いだ

▼北川正恭元知事が県を県民へのサービス機関とし、県職員は自分らのできることを仕事として定義し、県民サービスはその余力でできることしかやらない、と意識改革を求めた。任期中、生活者起点、県民サービスは職員の口癖だったが、以後20年、言葉自体、覚えている職員はいまい

▼28日のコロナ感染者は3507人。最多だった前日から946人もの増だが、説明は「集計の方法を変更したため」。議会ではないが「県民には分からん」と叫びたくなる。これまでも、作業が「限界に近い」を理由に簡略されてきたのだろう

▼職員の、職員による、職員のための県政―は続く。