伊勢新聞

2022年7月17日(日)

▼民選知事3代目の田川亮三が亡くなったのは平成7年9月。4代目の北川正恭氏就任のわずか5カ月後で、県民葬の話が持ち上がった。在任期間6期23年。長ければ尊からずだが、田川は四日市公害の封じ込めに尽くし、国の環境基準を上回る条例・規則を制定し、一時は環境先進県と言われた

▼今は県に四日市公害のノウハウも教訓もない。三重大と駐名古屋韓国総領事館共催の「日韓環境・SDGsフォーラムin三重」で「大気汚染や地球温暖化は四日市公害のあった三重から学ぶことができる」とあいさつしたのは朴恵淑同大学特命副学長だが、同副学長が四日市公害を学ぶため来日した昭和62年にはすでに県に見るべき資料はなかったと話している

▼県関連で四日市公害の名称が出るのは国際環境技術移転研究センター(ICETT)の一見勝之会長(知事)あいさつぐらいか。「四日市公害を改善する過程等で培われた環境保全技術を途上国等へ移転する」。関西文化学術研究都市との間で、地球環境産業技術研究機構の誘致合戦を展開し、四日市公害で蓄積した技術を言い立てて、センター立地にこぎつけたが、今は設立趣旨にもない

▼田川の県民葬の話は、従って業績とは関係なく、長期県政の余韻、ムードの類いと言えようか。白紙になったのは前知事の田中覚が存命だったこと。その死の扱いに思いを巡らした上の、いわば自己都合だった

▼安倍晋三元首相に中曽根康弘元首相に次いで「大勲位菊花章頸飾」授与が決まった。中曽根元首相が存命なら国葬はどうなったか。ちらっと頭をよぎった。