伊勢新聞

2022年5月11日(水)

▼県と中部経済連合会の懇談で、中経連の水野明久会長が新型コロナウイルスの感染者増について「ある程度は想定される」との認識を示したのに対し、一見勝之知事は「ポイントは感染者数ではなく、病床使用率」。スタート時点から現状認識に食い違いがある気がしないか

▼水野会長は、むろん経済活動を進める上での経済人、消費者らの心理を指標としたのだろう。一見知事は行政の都合を語ったものに違いない。大方の県民はその日、あるいはその前日、前々日の感染者数を覚えているが、病床使用率を記憶しているのは医療従事者を除けば、県しかいまい

▼知事も、コロナ禍前にまとめた対策指針では、患者数を第一の目安にしていた。六派の猛威で手に負えなくなったころから「病床使用率」を言い出すようになった。来館者数大幅減の首都圏営業拠点「三重テラス」について、県が「量から質への転換」と、人もうなる価値観を持ち出し、新たな指標を提唱して県議会を激怒させたことを思い出す

▼「ルールがクリアできないと、県は別のルールを作る」と外部監査委員から指摘された手口にも似ている。知事はまたウクライナ情勢について「対岸の火事とは言えない状況。自治体ができることをしっかり考えなければならない」。まぜっ返すようだが「県はできることしかやらない」と言ったのは北川正恭元知事。だから、やることなすこと、ちっぽけになってしまう

▼何ができるかではなく、何をしなければならないか、だ。この場合で言えば「どうすれば対岸の火事を消せるか」「類焼を免れるか」である。