伊勢新聞

2022年4月12日(火)

▼生活保護受給者の自動車保有認定に際し、鈴鹿市が三重県で唯一、独自で運転記録票の提出を義務づけていることについて、県の地域福祉課保護・援護班が「各福祉事務所が裁量の範囲で判断している」と言ったのに続けて「行き過ぎた指導かどうかは受け手の気持ちが大きい」

▼昔、いじめかどうかについて「受け手」を「被害者」に変えて、学校側がそう言っていたのを思い出す。市長が民間人を名誉毀損(きそん)で訴えた事件では、公判で争うことを求める被告に略式命令を受け入れるよう執ように勧める津地検検事について、次席検事もそう言って、検事の言動の正当性を説明した

▼一昨年、コロナ禍で研修を受けただけで雇用取り消しにあった男性が桑名市に生活保護の相談をしたら名古屋市に行くことを勧められ、500円を渡されたことがあった。名古屋市も東京都での申請を勧めた

▼県を代表するレジャー施設、鈴鹿サーキットがあり、それにちなんで「モータースポーツ都市」を宣言している市で、法が認める自動車所有の生活保護者は一例だけ。「監視されているようでつらい」と三重弁護士会人権擁護委員会に救済を申し立てたのに対し、市は「運転状況把握のため。市職員が公用車を運転する時につけているのと同じ」

▼監視ではなく、管理が目的ということだろう。どう区別するのかはともかく、末松則子市長の「全ての市民に向き合う気持ちを忘れないで。相手の立場に立って考えて」という新規採用職員への呼びかけとは似ても似つかぬ

▼行き過ぎた指導かどうか。受け手任せでいいなら、県職員はいらない。