伊勢新聞

2022年3月20日(日)

▼伊丹十三監督の映画『ミンボーの女』は宝田明さんの出演する映画を見た数少ない作品で、暴力団に脅されて右往左往するホテルの総支配人のコミカルな演技は、日本人初のミス・ユニバース児島明子さんと結婚した二枚目スターのイメージを覆し、のちのNHKの朝ドラ『カーネーション』のヒロインの祖父役など、親しみを感じる役者の一人になった

▼そのころだったか、昼のトーク番組で昭和37年の林芙美子原作の映画『放浪記』で主人公の恋人役となり、苦労したことを語っていた。監督は職人肌で知られる成瀬巳喜男。部屋の柱に背をあずけ、目を閉じて物思いにふけるシーンが「寝ているの?」などと言われ、何度やってもオーケーがでない。相手役の高峰秀子に聞いたら「自分で考えな」。「何ていじわるな女だ」と思ったそうだ

▼高峰秀子がその時のことを書いたエッセーを、その数年前に読んでいた。座って柱に背をあずける前が問題という趣旨だった。立っている状態から座るまでの演技と、その中でいつ目を閉じるか。教わって覚えるものではないという

▼宝田さんはどう乗り越えたか。あれこれ工夫し、よく分からぬまま終えたという。が、自分で考えるという思いは身にしみ、今では高峰秀子に感謝していると言っていた。彼女のエッセーを読んでいないらしいことで、昭和の名優2人の生々しい演技論を聞かされた気がした

▼晩年、戦争や平和についての発言が増えた。それまでは「俳優は社会的発言をしてはならない」という教えを固く守っていたという。日本の特殊性が分かる話である。