伊勢新聞

<まる見えリポート>松浦武四郎記念館 単独館にリニューアル

【松浦武四郎記念館のリニューアル図(松阪市提供)】

松阪市小野江町の松浦武四郎記念館が4月24日、約1年間かけたリニューアル工事を終えて再開する。併設の小野江公民館が分離し、単独施設として内部を改装した。幕末、ロシアの南下に危機感を抱いて単身、蝦夷(えぞ)地の探査に赴き、明治政府の開拓判官として北海道と命名した松浦武四郎(1818―88年)に関する国内唯一の博物館として充実させた。

同館は平成6年、小野江公民館を併設して、武四郎の生家近くに開館した。

武四郎が残した膨大な記録や収集品は関東大震災や東京大空襲をくぐり抜け、重要文化財1505点に指定され、同館で保管している。そのため公民館では火気使用が制限され使い勝手が悪く、公民館の移転が検討されてきた。

武四郎生誕200年の平成30年には参宮街道沿いの生家を修理し、「松浦武四郎誕生地」として公開。北海道命名150年とも重なり、松阪市や北海道が記念事業を繰り広げ、同年度の記念館への入館者数は過去最多の1万1783人に上った。目安としていた1万人を達成したため、公民館の移設を決め、隣接地に昨年4月に新築した。

記念館は約2億円かけ改修し、展示面積と内容を拡充した。財源には国のアイヌ政策推進交付金1600万円も入っている。

収蔵庫の扉を取り換え、防火に加え3メートルの浸水にも耐えられるようにした。公民館の和室だった場所に書庫と研究室を設け、博物館機能を高めた。

展示室は①生涯を紹介する「武四郎回廊」②探検や著述、収集など多彩な功績を伝えるテーマ展示③2カ月ごとに入れ替える収蔵品の展示―で構成。

同館目玉の、武四郎が約9800のアイヌ語地名を入れて作った縦2・4メートル、横3・6メートルの蝦夷地図の再現と、晩年に建てた一畳敷書斎の模型もリニューアルした。

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武四郎はロシアが南下する危機的な北方情勢を長崎で聞き及び、蝦夷地探査に乗り出す。事情通として幕府箱館奉行所に雇われ、内陸の調査を開始。石狩川や天塩川を案内のアイヌと一緒に舟でさかのぼり山中を歩いた。

探検中にメモした「野帳」を基に、調査報告を全116巻にまとめ幕府へ提出した他、「石狩日誌」など気楽に読める地域別の紀行本を刊行した。

明治維新後は政府から開拓判官に任命され、蝦夷地の北海道への改称や国郡名の選定に当たり、名称は現在も使われている。

アイヌ民族に強い関心を抱き、生活と文化、地名を詳細に記録した。北海道東端を巡った「納紗布日誌」では、「ヌサウシというのは、土地のアイヌたちが、山海の神々にささげるイナヲという(木の)けづりかけの御幣を数多く立てる場所である。ヌサの語は和語の『幣(ぬさ)』ウシはアイヌ語で『多い』の意味であり、そうした古い和語がそのままに、この土地の言葉に残っているのは不思議なことである」(丸山道子訳)と共通する言葉に注目している。

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リニューアル記念式典は4月24日午前10時から開き、同11時にオープン。入場料は一般360円、6―18歳230円。

同日午後4時から同市川井町の農業屋コミュニティ文化センターで記念ピアノリサイタルを開く。松浦武四郎から5代目の玄孫(やしゃご)に当たるピアニスト関孝弘氏(68)=横浜市=が弾く。

関氏は国内外で活躍し、イタリアのピアノ作品を意欲的に紹介。同国政府から文化功労勲章コメンダトーレ章を受けている。著書「これで納得!よくわかる音楽用語のはなし」はベストセラー。

記念館は工事で昨年5月から休館している上、コロナ禍で毎年開いている「武四郎まつり」が2年連続の中止に見舞われた。

再開へ向け、竹上真人市長は「武四郎の魅力をこれまで以上に感じていただくとともに、松阪が誇る歴史・文化についても広く発信できる」とアピール。「式典には北海道の方にもお声掛けしている」と加えた。