伊勢新聞

2021年12月5日(日)

▼中国・前漢(紀元前202―後8年)の中興の祖、宣帝(前73―49年在位)のころ、異民族の平定計画を問われた老将軍・趙充国は、前線を遠く離れては難しいとして敵地に向かい、地図を作成して指揮を執り、平定に成功した。百聞は一見にしかず、の故事である

▼災害に直面してどう行動するかも、訓練ではなかなか身につかない。訓練を重ねることは大事だが、実際に遭遇して訓練との違いを修正し、次に備えると、体験者は口をそろえる。紀伊水道を震源とする地震で県内最大震度4を観測した熊野市では小中学生が高台などへ避難した

▼地震発生を受けて授業を中断。教職員らが誘導し、津波の心配がないことを確認して約1時間後に授業を再開した。頼もしい備えだったと言えるのではないか

▼一方、県。「震度5弱以上を観測」が基準だとして災害対策本部は設置せず、小規模の「準備体制」なるもので対応したという。5弱に繰り上がったら対策本部にする「準備」ということか。一見勝之知事は県外にいて、電話で報告を受けて情報収集などを指示した。帰県はしなかったらしい。本部長は知事が就くのが決まりだが、準備が本番に切り替わってもしばらくは空席だったとみえる

▼伊勢湾台風では当時の知事が外遊中で、電話などでの指示に終始。すぐに帰国しなかったことが非難された。この日は山梨県でも震度5を観測。関連性や南海トラフとの関係が取りざたされ、一時混乱が広がった

▼まず県庁に戻り自分の目で確認し指示する心構えは知事にはなかったのだろう。絶好の訓練の機会も逃した。