伊勢新聞

2021年11月20日(土)

▼紅葉の季節。津市芸濃町の河内渓谷で見頃を迎え、イロハモミジなどが43本が黄変、紅変して人々の目を楽しませている。全山紅葉する様は古来、金襴緞子綾錦に例えられ、一斉開花の桜と並ぶ日本の美だが、道ばたである日、ふと深紅に紅変しているモミジを発見する驚きは、まだか、まだかと開花を待つ桜とはまた違う楽しみと言えようか

▼百人一首で知られる猿丸太夫の「奥山にモミジ踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき」。元は古今和歌集(平安時代初期)に「読み人しらず」で載ったとされ、モミジと鹿の声で晩秋の物悲しさを歌ったというのが現代語訳だが、鹿の雄は雌を求めて鳴くのであり、それを踏まえると、違った景色が見えてくる

▼さかのぼって「葉」と「世」がその名の由来とされる万葉集。モミジは「もみづる」で色づくの意味。恋の歌で「露霜にあへる黄葉を手折り来て妹とかざしつ後は散るとも」(巻八)。「妹」は恋人。「後は散るとも」には散らさずにおくものかの意があるとされる

▼有名なイブ・モンタンの歌『枯葉』とは似て非なり。生命の躍動を紅葉に見るのである。「うらを見せ表を見せて散るもみぢ」は良寛終焉の歌として死生観を表すとされるが、贈った相手は30歳年下の恋人貞心尼。愛吟歌ではあるが「別の人の作」と彼女は記す。世に伝わる解釈とは別の思いも連想される

▼黄変は緑が分解した色だが、紅変は葉の新たなエネルギーがもたらす。春の桜祭りに対し、秋はもみじ狩り。「桜折るバカ」とは違って、もみぢは手折ってかんざし代わりに贈るのである。