伊勢新聞

2021年11月16日(火)

▼学部や規模などが決まっていない中で、県民アンケートに表れた県立大設置に対する一定のニーズは、それぞれが異なる学部像、規模像を思い描いた上での総和だろう。総合大学か専門大学かでもニーズはふるいにかけられ、その中にどんな学部があるかでむろん、こぼれてくる

▼「設置ありきであってはならない」と、慎重な議論を求める声が県庁内に上がるという。県民にしてみれば迷惑な話だ。県から問いかけられた県立大構想ではないのか。本家本元から、いまさらながら「設置ありき」論が飛び出す。大学を誘致する感覚から抜け出す気などないのだろう。「とにかく大学ならどこでも」―そう思って各大学に打診したが、反応はなかった

▼学びの大切さへ導くのか、企業の要望に応える人材を養成するのかに高等教育機関は大別されるが、県の場合、人口流出対策が加わる。県外大学に進学したまま就職してしまう若者を食い止めるのが県のニーズで、大義名分は「首都圏一極集中の是正」。開学の精神としては類を見ない不純さである

▼かつて財政負担に耐えかねて県立大の国立移管に奔走。国の要路に「せっせと松阪肉を運んだ」(当時の担当者)。同じ悩みの津市の三重短大県立移管要請を門前払いにした。どこまでも経済論である

▼家の事情で県に残らねばならず、泣く泣く三重高等農林学校(現三重大)に進学したという県職員は多く、一大閥を築いたが、後進のためにひと肌脱ごうという向きはなかったとみえる

▼いやしくも最高学府を築く以上、まず大学像を明確にして、県民に問わねばなるまい。