▼やはり先月29日の岡田克也衆院議員の会見がすべてを言い尽くしていたということか。知事選への独自候補擁立について「できればしたいが、協議中」。与野党相乗りの可能性については「仮定の質問に答えるつもりはないが、現実に戦える候補がいるのかという問題もある」
▼「できればしたいが」は、かなえられそうにないがの意味で、「仮定の質問に答えるつもりはないが」は、政権担当時から目立つようになった口癖。立憲民主党県連が知事選で自民のかつぐ候補への相乗りを決めた
▼平成7年知事選も似た過程をたどった。いち早く候補者選考に動いた自民党は副知事を担ぎ出して連合にも根回しし、統一候補を目指した。その流れを一変させたのが岡田議員だった。「中央で与野党激突し、地方で相乗りでは県民の理解を得られない」とぶち上げ、一部で擁立に動いていた北川正恭氏の浮上となった
▼のち民主党政権幹事長の時の講演で、珍しく地元の話題に触れ、一番うれしかったのは北川県政誕生だったと語った。外遊先からの岡田氏の電話で北川氏が出馬を決意したと平成7年1月16日、擁立決定に立ち会った陣営幹部が言っていた。生みの親はオレだの自負でもあろう
▼当時40代そこそこ。「この国を変える」の情熱が既成の政治手法を覆したかに見えたが、北川氏の存在あってのことだったか。長く「直球」のスローガンをホームページの扉に使っていたが、今は「正直な政治」「未来への責任」「私の信念は変わらない」の三面が交互に現れる
▼言葉が多く必要になってきたのかもしれない。