伊勢新聞

<まる見えリポート>鳥羽の海女事情 地域おこし協力隊から海女へ 三重

【鳥羽市の地域おこし協力隊員を経て7月に海女として独立した上田さん=鳥羽市石鏡町で】

三重県鳥羽市が委嘱する地域おこし協力隊員の任期を終えた上田茉利子さん(37)がこの7月、同市石鏡町で本格的に海女としての道を歩み始めた。協力隊を経て海女の道を選んだ県外出身者は2人目。上田さんは「辛いこともあるが充実感を得られる仕事。悩んでいる人にこういう選択肢もあることを知ってもらえたら」と話している。

上田さんは東京都杉並区出身。早稲田大学文学部を卒業後、都内の広告代理店に勤務しながら何不自由ない暮らしを続ける一方で、「このまま一生を過ごしていいのか」と焦りを感じるようになったという。当時流行していたテレビドラマをきっかけに海女の生き方にあこがれを抱き、海女になる方法を探す中で協力隊の存在を知った。

地域おこし協力隊は都市部から地方への移住者を隊員として委嘱し、地域住民との交流や活動を通じて定住促進を図る制度。全国的に導入が進められる中、鳥羽市でも平成27年度から制度を導入し、これまでに12人を委嘱、8人が任期を終えた。このうち5人が任期終了後も鳥羽にとどまる道を選択している。

上田さんは漁村で知られる石鏡町の活性化担当として、30年7月に委嘱を受けた。翌年には鳥羽磯部漁協で準組合員として漁業権を獲得。地域行事への参加や、海女や海藻類の文化的価値と魅力の発掘、写真など歴史的資料の編纂や鳥羽高校での講義といった、隊員としての活動の合間をぬって海に潜り続けた。

「自分が実体経済の一員ということを実感できるのが魅力。たくさん採れれば達成感があるし、採れなかったら悔しい」と上田さん。当初は漁もうまくいかず、周囲に溶け込めない疎外感を感じることもあったが、徐々に受け入れてくれる雰囲気を感じるようになったという。「命がけを共有することで心配してくれる人も増えた。海を通じて村の一部として見てくれるようになったかな」と話す。

自立しながら海女の魅力を外に伝えるのが目標という。「他の地域で働く人の感性を取り入れることで新しい売り方もできると思う。うまくブランド化すれば余裕も生まれ、海女という仕事の安定にもつながる」と意欲を示す。

こうした上田さんを、海女として60年以上を過ごし、「トラさん」の愛称で知られる女性(83)は「地元で若い人はあまりいないので来てくれてありがたい。一人前になるまで頑張って欲しい」と暖かく見守る。

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三重県は全国で最も多くの海女がいるとされている。鳥羽市立海の博物館によると、県内には660人の現役海女が活動(29年調べ)。一方で平均年齢は65歳を超えており、減少の一途をたどっている。

令和元年には日本遺産としても登録された海女文化だが、近年では温暖化による海水温の上昇に加えて海女漁の中心となるアワビやサザエといった貝のエサ場となる藻場が減少する磯焼けなど、取り巻く課題は多い。昨年はコロナ禍での観光需要の減少に伴う出荷額の低迷も話題となった。

東京都北区出身で協力隊第1期生を卒業後、同じく石鏡町で海女兼フォトグラファーとして活動を続ける大野愛子さん(42)は海女を取り巻く現状について、「伝統や文化など良い側面だけが一人歩きしている部分がある。まず生活が第一にあり、そこを美化し過ぎないで欲しい」と話す。

海女の担い手として海に潜り始めた6年前と比べて、環境の変化を肌で感じるようになったという。「昔は冷たく感じた冬の海が今は過酷ではなくなった。本来温暖な海にしかいない魚を見るようになった」。

海草にも変化があり、特に今年のワカメは色も悪く成長が芳しくないという。こうした中、自身もただ量を追い求めるだけでなく、資源を残しながら「持続可能な」漁の方法を意識するようになってきたという。

「水揚げした魚介類を身近に買える直売所のようなシステムも必要。暮らしに安定や誇りが生まれれば海を大事にという考えにもつながる」と指摘する。

若者の参入について、「興味を持って来てくれるのはうれしいが気軽に誰でもというわけでもない。共同体として文化を尊重できる人でないと難しい」とし、「暮らしを大切にできる方なら大歓迎。最初はうまくいかないと思うので色々チャレンジして欲しい」と後輩にエールを送った。