サルタビコは正体がよくわからない。今や珈琲のブランドが有名だが、サルタビコを祀る神社は全国で2000社を超えるという。一般的にサルタヒコ(猿田彦神)と呼ばれているが、古事記の表記は猿田毘古神でサルタビコと読んでいる。
アマテラス(天照大御神)の孫ニニギ(迩々藝能命)が地上に降りる準備をしていた時、道の途中に、「上は高天の原を照らし輝かし、下は葦原の中つ国を光り輝かす」神がいる。アマテラスはアメノウズメ(天宇受女神)に、「汝はか弱い女神ではあるが、向きあうと面(おも)勝つ神」だから、誰が降りる道を邪魔しているか調べるように言われる。ウズメが降りて尋ねると、「私は国つ神サルタビコで、天つ神の御子が天降(あも)りなさると聞いてお仕えしようと思って待っている」と答えた。
このようにしてサルタビコは、高天の原から降りてくる神がみの前に登場し道案内をしたというのだが、ほんとうに最初から仕えるために待っていたのかどうか。ウズメに睨まれて怖じ気づいたか、妖艶さに骨抜きにされたか、そんなふうにも読めてしまう。アメノウズメもサルタビコも、一癖も二癖もある神で正体がつかみにくい。
無事に地上に降りたニニギは、立派に道案内をしたサルタビコを誉め、本貫(ほんかん)(本籍地)に送るようにウズメに命じる。そこを日本書紀の一書(別伝)では「伊勢の狭長田(さながた)の五十鈴の川上」であるという(日本書紀正伝にはサルタビコは出てこない)。ところが古事記では、送った地を記さず、道案内する前に阿邪訶(あざか)にいて海に潜った時、比良夫貝(ひらぶがい)に手を挟まれて溺れたというエピソードだけを伝えている。
この阿邪訶は、松阪市大阿坂町・小阿坂町辺りとされ、それぞれの町の阿射加神社には、溺れた時のあぶくから生まれたサルタビコの三つの御魂が祀られている。海岸線から少し離れているが、潜水を業(なりわい)とする海の民が祀る神とみてよい。
内宮のそばに鎮座する猿田彦神社が、日本書紀一書に出てくるサルタビコの本貫とされているのだろうが、『延喜式』神名帳(平安時代の全国の主要神社の目録)には出ていない。一方の阿射加神社は「三座、名神大」(壱志郡条)とあり、由緒正しさは証明される。
また、赤い顔に長い鼻をもつ天狗の元祖のような姿も日本書紀一書に記されているだけで、古事記ではサルタビコの容姿は何も伝えない。ところが中世以降、天狗のようなサルタビコは祭祀芸能とともに有名になった。