伊勢新聞

2021年6月25日(金)

▼「知の巨人」と呼ばれたノンフィクション作家で評論家の立花隆さんの死去に、ルポライターの鎌田慧さんが追悼の言葉を寄せていた。中に「初めて会ったのは1960年代の後半。彼が週刊誌『ヤングレディ』のアンカーを務めていた時だった」とある

▼多数のデータマンと呼ばれる人たちが各取材先に散り、最大漏らさず原稿用紙に書きとめたのをアンカーマンが記事にまとめる―。そんな週刊誌の取材方法を知ったのは、立花さんの「田中角栄研究」を読んでからだった。広範囲にわたる綿密な取材に驚き、どうしたらこんなことが可能かという関心が、チーム取材という週刊誌独特の取材方法を知るきっかけになった

▼時の田中首相を退陣に追い込んだルポと言われたが、新しい事実は何もないと政治記者らは言っているという報道があった。新聞が調査報道を始めたのも、このルポが一つのきっかけだった。悔しさと反省が垣間見える。米国で一流のジャーナリストは「シラミ」と呼ばれると教わったのも立花さんの著書だった

▼髪にもぐりこみ、皮膚にとりついてかゆみをもたらし、かいても落ちずかゆみを増す。「このシラミ野郎」と罵倒されて一人前というのだ。蚊ほどのハリも持ち合わさぬが以来、気持ちの持ち方だけは変わった気がする

▼雑誌ジャーナリズム隆盛をけん引した一人で、多くの人材が巣立ったが、今その面影はない。米国で優れた報道に贈られるピューリッツァー賞の特別賞は、白人警官の黒人男性暴行死事件をスマホで撮影した女子高校生だった。ジャーナリズムの一つの時代が終わった。