伊勢新聞

<1年を振り返って>「豪商のまち松阪」市街地敬宇 コロナ禍、駅西は手つかず

【江戸で活躍した松阪商人をアピールする日本橋と国分の蔵のジオラマ=松阪市本町の市産業振興センターで】

三重県松阪市が20年後を見据えた「『豪商のまち松阪』中心市街地土地利用計画」を平成29年に策定して3年目を迎えた。計画を基に、松阪商人が活躍し経済・文化が栄えた歴史をアピールする観光・文化施設の再配置が進んだ。ただコロナ禍もあり、松阪駅西地区の再開発は手つかずのままだ。

「豪商のまち松阪」をテーマにしたまちづくりは同市魚町の松阪商人、旧長谷川治郎兵衛家の市への寄贈を機に始まった。山中光茂前市長時代に観光交流拠点の本館と別館の建設が具体化しそうになったが、平成27年に初当選した竹上真人市長が「総合的なまちづくりを考える」と仕切り直しを指示。同29年5月に20年後を見据えた同土地利用計画を作成し、本館だけに縮小した「豪商のまち松阪 観光交流センター」が、昨年4月に同市魚町に開館した。

長期間の大規模な計画だが市議会の議決案件ではなかった。昨年9月の市長選で新人の海住さつき氏が「竹上市政の目玉」の同計画の「抜本的見直し!」を争点に掲げ、竹上氏に一騎打ちで挑んだ。ダブルスコアで竹上氏が再選し、同計画も信任された形となった。
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土地利用計画では、同市本町の三井家跡に建つ市産業振興センターを「三井家と伝統産業を考慮した施設」に変えるとした。老舗百貨店「三越」の前身となる呉服店「越後屋」を開いた三井高利は、2年後に生誕400年を迎える。

同センター1階の松阪もめん手織りセンター横には、三井家をはじめ松阪にゆかりのある東京・日本橋かいわいの老舗企業を紹介するコーナーを整備中だ。同コーナーは松阪商人の現在を伝える役割を担い、日本橋三越本店や小津和紙、ちくま味噌(みそ)、国分を取り上げる。

同市と「歴史のご縁による連携協定」を結んでいる三越伊勢丹ホールディングスとの連携事業でもあり、来年3月上旬にオープンする。

今年2月18日には、同市射和町発祥で、本社が東京都中央区日本橋一丁目一番地一号にある酒類食品卸売「国分グループ本社」が同市へ寄贈した「日本橋のジオラマ」が同コーナーにお目見え。にぎわう日本橋のそばに並ぶ国分の蔵に、小舟からしょうゆのたるを運び込む光景を展開している。
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松阪商人の小津家からは日本映画界に小津安二郎監督が出ている。市は今年の9月補正予算で、現在同市愛宕町にある小津安二郎青春館を閉館し、松坂城跡内の歴史民俗資料館に顕彰拠点を整備する予算を盛った。映画セットや昭和の生活用具などを展示し、来年3月から公開する。

小津監督は東京から同市愛宕町へ転居し、青春時代を過ごした。木造2階建ての歴史民俗資料館は旧飯南郡図書館で、小津監督が少年時代に通ったゆかりがあり、同監督は日記に、図書館で昼寝したと書いている。

東京にいる子どもたちを訪ねた広島の老夫婦が息子や娘らに邪魔者扱いされる名作「東京物語」では、唐突に「兄貴とまっつぁか(松阪)の方に出張しとりましてなあ」のせりふが出てきて、小津監督の郷土愛がしのばれる。

同市文化課は「日本全国はもとより世界中の小津ファンを松阪に呼び寄せ、観光客や交流人口を増加させる」と意気込んでいる。

土地利用計画では、小津家から出た本居宣長の旧宅を、現在の松坂城跡内から、元の長谷川治郎兵衛家前に戻すプロジェクトを掲げている。火災から守るため一世紀前に城跡に移したが、城とは関係ないため、再移転とされた。旧宅の管理機能を持つ記念館も城跡内から市役所前へ移転新築する。「おおむね20年」を目標としている。

一方、松阪駅西地区再開発の目標年次はそれより早い「おおむね10年」。ホールを備えたホテルを誘致し、行政窓口機能や市民活動拠点も入れるもくろみだが、民間進出の動きは鈍く、進展を見ないまま一年が終わりそうだ。