三重県立美術館(津市大谷町)は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため2―5月に休館を余儀なくされ、主催する2つの企画展が中止に追い込まれた。展覧会はいずれも松阪市出身の日本画家宇田荻邨(てきそん)と洋画家中谷泰を取り上げる予定だった。同市が貸し出した絵は引き続き同館収蔵庫で保管し、同市が新築する市文化財センター収蔵庫へ移す。同市への帰還は令和5年となる見込み。(松阪紀勢総局長・奧山隆也)
県立美術館はコロナの感染拡大を受け2月29日から3月31日まで休館し、さらに国の緊急事態宣言などに伴い再び4月11日から5月11日まで休館した。
準備していた「没後40年 宇田荻邨展」(4月18日―5月31日)は開催を断念した。続く「いわさきちひろ展―中谷泰を師として」(7月18日―8月30日)も中止した。
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宇田荻邨(1896―1980年)は京都画壇を代表し、「清澄な画境」とされる代表作は、装飾的なのに生き生きしている。県立美術館は開館当初から、郷土の重要な画家と位置付け、調査研究と作品収集を重ねてきた。今回は没後3年記念展から37年ぶりの回顧展だった。
荻邨はロシア革命干渉戦争「シベリア出兵」に徴兵されたが、出征しても絵の道を捨てまいと写生帳と色鉛筆を持参し、なんと隊もこれを許した。画室に残された下絵や写生帳にはシベリアの風景が出てくる。展覧会では同館コレクションの下絵や素描も加え、あまり言及されなかったシベリア出征などを含め画業を振り返るはずだったが、取りやめに。
回顧展は中止したが図録は出版した。松阪市に寄贈された「飛香舎」が表紙を飾り、明るく爽やか。
「いわさきちひろ展―中谷泰を師として」は、いわさきちひろ(1918―1974年)が絵本作家として歩み始める以前に大きな影響を受けた中谷泰(1909―1993年)を取り上げ、2人の結びつきをたどる内容。中谷は東京芸術大学教授を務め、国立近代美術館に「炭鉱」「陶土」が所蔵されている。これまであまり知られてこなかった側面を紹介する企画だったが、中止になった。
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宇田荻邨は故郷に代表作を多く寄贈し、昭和47年に同市名誉市民になっている。母校の第一小学校に贈った「梁(やな)」は平成23年に市有形文化財に指定された。同市には「市の木」になっている松を描いた「松樹」を贈り、市長応接室の壁に掛けられ、来訪者を迎えてきた。
同市は県立美術館の依頼で回顧展のため寄贈作品を同館へ貸し出したが、展覧会が中止になってしまい、絵は同館収蔵庫に眠ったままになっている。
一方、「松樹」を飾っていた市長応接室の壁は訪問者との記念撮影用に市章や同市マスコットキャラクター「ちゃちゃも」を組み合わせた市松模様のスクリーンに置き換えた。
加えて2年前、松阪地区木材協同組合と松阪飯南森林組合から提供されたヒノキで、市長応接室の壁一面を全面板張りにした。松阪産材のPRになるが、木から出る酢酸やギ酸が日本画の顔料と反応して絵の劣化につながる。
同市は先月11日、市議会文教経済委員会で同市文化財センター収蔵庫新築工事の基本設計を明らかにした。市に寄贈された松阪商人・旧長谷川治郎兵衛家の膨大な資料が主要な収蔵物だが、宇田荻邨や中谷泰の絵画が含まれる。
文化財センター収蔵庫は同市外五曲町のはにわ館の隣に約4億円かけて造り、鉄筋コンクリート造り2階建て、延べ床面積515平方メートル。
竹上真人市長は「収蔵庫を建てると、近くに学芸員や文化に精通した職員がいないといけない」と建設地を選んだ理由を話し、「絵画は長年外に出しておくと傷んでいく。温度や湿度を適正に保たないといけない」と語る。
収蔵庫を約1年半かけて建設した後、建材から出る化学物質を出し切る枯らし期間が1年ほど必要。コロナをきっかけに同市を離れた絵が戻るのは2年半後、令和5年10月という。