伊勢新聞

2020年10月13日(火)

▼津市の第3セクター「津センターパレス」の大口入居者が10年ほど前、各テナントの賃貸料一覧を見ながら怒っていた。高低差が大きく「うちは一番高い。何にも文句を言わないせいか。今に見ろ」。数年後の自社ビル建設を見込んでの恨み節だったか

▼賃貸料へ不信は強く、市議会でも指摘されたが、市は別法人を理由に開示しなかった。多くが退去し、市の関係団体の入居で帳尻を合わせることになったのも公平公正に疑問を持つテナントが多かったからではないか

▼昭和60年のオープン時は大型スーパーが核店舗になることで周辺商店街の不安は強く、地元業者の入居と核店舗のダイエーの営業品目を制限してのスタートだったが、都ホテルの営業とともに中心商店街の振興がうたわれた

▼核店舗の撤退、入居店舗の退去が相次き、都ホテルも撤退意向で、津市が肩代わりして継続した「都シティ津」だが、9月から全館休業。前葉泰幸津市長がホテルを経営する会社の社長を直前に辞任し、再開のめどは立っていない

▼35年間で、市本庁舎建設を可能にした旧本庁舎跡地活用計画は周辺の商店を巻き込んでことごとく失敗した。影響を最も受けたと見られる大門大通り商店街は活性化をめざしてアーケード撤去。次いで歩行者天国を車両通行地域に変える計画で、市に助成を求めた

▼市は「そもそもアスファルトだった市道をタイル張りに変え歩行者天国にした(平成3年度)のは商店街」だと難色を示したという。もくろみ違いはお互いさま。そもそも誰のためにこうなったか。商店街側にも言い分はあろう。