伊勢新聞

2020年9月30日(水)

▼鈴木英敬知事の県外出張は年間84日で、およそ4日に1日。予知不能な地震発生時に間に合うかを問われ、危機管理統括監が電話やタブレット端末、公用車の衛星電話などで十分対応でき、知事に事故があった場合は「副知事、危機管理統括監の順に指揮を代行する」

▼大震災時に通信機が「訓練のように」機能するかは別にして前例はある。大被害をもたらした昭和34年の伊勢湾台風の時、当時の田中覚知事は米国視察中で、帰国しなかった。議会の追及に、電話で的確に指示し、副知事以下も対応できると答え、信頼したなどと答弁していた

▼議長は野呂昭彦前知事の父親恭一(故人)。「〝知事兼務〟の形で災害復旧、遺族対策の陣頭指揮をとった」と語っている。知事不在の副知事以下の指揮がどの程度のものか、およそ見当がつく気はする

▼恭一はのち国会に転じ、46年に防衛政務次官。自衛隊機と全日空機が衝突して162人が犠牲になった雫石事件に遭遇し、防衛庁長官が辞任する中、伊勢湾台風時の経験を生かし、現場処理や遺族対応に当たったという。沖縄返還直前で難局が山積し「充実した1年(任期)だった」とも記す

▼RDF爆発事故や国内最大級の産廃不法投棄、フェロシルトなど前県政〝負の遺産〟とされる問題が噴出し、野呂前知事に対して親子二代の大事件・事故に遭遇する巡り合わせ、と書いて不興を買った。鈴木知事の県外出張を取り上げたのは国政転出のうわささへの“けん制”とも、と本紙『記者席』

▼ともあれ、防災問題の答弁を事務方へ任せる。知事も変わった。