▼市長会が新型コロナウイルス情報の対応を県に要望した中の「統制」の言葉を削除し、提案した市長名の公表を避けた。自ら名乗りを上げることもなさそうだから戦時中の「言論統制」を思わせるが、経緯そのものは功罪相半ばする気がしなくもない
▼要は、なぜ「功」かである。「衝撃的な内容」「すごい時代になった」と戦争を知らない県職員からも声が上がったからである。「いくら何でも」の思いがにじむ。緊急事態宣言が発令されたばかりで、岐阜県は、戦前の法に基づくかのような「非常事態宣言」の言葉を用いた。疑問は広がり、議論も経ず見過ごされることにはなりそうにない
▼懸念されるのは、東員町の女性歯科医の感染を発表した県の姿勢である。初めて勤務先を公表したのは「本人から同意を得た」から。本人が「県民の不安や患者への影響を考えられた」と続ける
▼「県民の不安や患者への影響」は本人の考えという薄氷の上に乗っている。感染症法は、個人情報保護の留意を求めてはいるが、それは「予防のための情報を積極的に公表しなければならない」という前項を受けてのことだ。「積極的」とは何か。少なくとも、個人情報を隠れみのに消極的になることではあるまい
▼感染したスタッフに至っては「名古屋市の了解がない」として明らかにしない。本人ではなく、行政体の同意不同意が公表の基準になっているというのだ。隣県だけでなく、県内の市町の意向も公表を左右することになるのかもしれない。脱法行為と言えないか。当然のような県の説明に、現代版言論統制の怖さがある。