伊勢新聞

2020年2月13日(木)

▼野球少年だった昔、プロ野球南海ホークスの野村克也選手は憎い男だった。巨人ファンというより大の長嶋茂雄選手ファンで、神様のような存在だったから、その長嶋選手を差し置いて三冠王になるなんて―と思ったのだ

▼セリーグがプロ野球の世界のすべてであり、パリーグと言えば、そんな巨人を日本シリーズで3年連続で制した西鉄ライオンズだけがライバルとして認めるチームだった。その西鉄を破ってリーグ優勝した南海が、巨人を4―0で負かした時は本当に驚いた。人気のセ、実力のパが現実として思い知らされた

▼南海のバッテリーは杉浦忠と野村克也。しかし、注目は四連投の投手杉浦で、捕手野村はついで。6年後の昭和40年の三冠王で初めてその名が頭に刻まれた。「長嶋が太陽に向かって咲くヒマワリなら、オレは夜の月見草」と言ったのはしばらく後だが、まさにその通り。言い得て妙と感心した

▼南海監督を解任された時も、その騒ぎより、ロッテに移っての「生涯一捕手」の言葉は心にしみた。「生涯○○」はさまざまな形、分野で引用された。「勝ちに不思議の勝ちあり。負けて不思議の負けなし」も、野村監督の言葉として心に残る

▼現役時代は「野村のささやき」が有名だった。「△△(飲食店名)の××ちゃんがよろしく言ってたぞ」などもあったという。解説者になってからの「ぼやき」の数々の名言につながっていくのだろう。人間心理を知り、それを伝える言葉の推敲に費やした生涯ではなかったか

▼野球は少年の域を出ないが、自分の専門に引き寄せて偉大さを考えてみた。