伊勢新聞

2019年12月29日(日)

▼三重県の教育長はかつて旧自治省からの出向組が務めた。昭和60年の日教組大会開催で、県文化会館使用に最後まで反対したのもその1人で、県教職員組合と蜜月の当時の知事の立場に配慮はないのかと、県職員の評判はよくなかった

▼心身疲労で県外病院へ離脱。見舞ったら日焼けした健康そうな顔と足取りで散歩から帰ってきた。二代続きの不作というのが職員評で、次の代からか、行政経験の実績にならない県企業庁長に回り「そういう先輩がいたからですねえ」とやはり旧自治省組の財政課長が感に堪えていた

▼県職員の教育長が続き、教職員出身が就任したのは平成8年。前年からのカラ出張問題で県が大揺れの中で、県教委は2年間継続し、教職員は間に合わないと1期で交代。県職員に戻した。盛大に税金で飲み食いしたのは県職員だが、一気の素早い変わり身が、何と言っても危機管理には必要と評価されたようだ

▼数年分返却しただけでうやむやで幕引きされたカラ出張問題だが、私見では中曽根内閣の民活導入にさかのぼる。民間を見習えの合い言葉で、県に「接待第一」の機運が加速された。世全体が官官接待競争の時代。裏金作りの感覚をマヒさせた

▼民営化した日本郵政グループ3社長が、民間出身から官僚OBへ総入れ替え。頭は民間、体はお役所のキメラがどんな化け物に育つか。我々はまた見せつけられたが、今度は頭も官僚にするという。いつかの教育長人事を連想させた

▼鈴木県政下の山口千代己教育長(教職員)から廣田恵子教育長(県職員)への交代とは何の関係もないので念のため。