お盆について民俗学者の柳田国男は「先祖の魂が、山の高い処に留まって居て、盆にはそこから子孫の家を訪れて来る」(「魂の行くへ」昭和24年)とみた。祖霊がこもる山を巡っては古代史研究家の井上香都羅氏が両脇に山が控える「神山」の景観を発見し、「神山には、必ず磐座(いわくら)と呼ばれる巨岩があります」と説く。例えば、松阪市伊勢寺町の伊勢寺神社から西を見ると、ドーム状の山頂部に両肩が付いた山容がそびえ、頂上付近には岩石群がある。
同神社を出て、山麓を横切る伊勢自動車道をくぐり、尾根を登っていくと、山頂東側の高さ350メートル付近で切り立った岩壁が現れ、そそり立つ絶壁の先端部分が尾根に斜めに突き出している。登頂すると「天ヶ城跡420m」のプラカードが木に掛かっている。半球状の頂上部西側には、垂直に立つ鋭角の岩石の両側に幅広い伏せた岩が2つ並び、鳥が羽ばたいているように見える岩石群がある。
「式内社調査報告」(皇學館大学出版部)によると、同神社には明治41年に27社が合祀(ごうし)された。式内社は平安時代の927年に完成した律令の施行細則「延喜式」にある全国の神社一覧表「神明帳」に載る古社。
合祀社のうち式内社は近所の物部神社と、同市深長町の「泉の森」として知られる大神(おほみわの)社、堀坂神社の3社。大神社跡からは半円の観音岳(605メートル)が望め、山裾の堀坂神社跡は木が繁って景色が見えないが、その近くからは堀坂山(757メートル)の山頂部が山奥に見える。
神山は三角や半円の山を中心に両側に山が控える形。井上氏は古代の遺跡は神山を拝する祭祀の場という仮説を立て、全国の弥生時代の銅鐸(どうたく)出土地や縄文・旧石器時代の遺跡計約1000カ所を現地調査し、全てで神山を確認した。古墳や古社にも当てはまるという。
井上氏は「山に宿った祖霊を、年に一度か二度、麓の山を正面に拝する場所に招いて、祖霊の祀りを行った」(「銅鐸『祖霊祭器説』」彩流社、平成9年)と考える。磐座は神を迎える岩で構えた座。
柳田は民俗伝承の研究を通じ、死ねば魂は山に登って行き子孫を見守るという信仰を推定した。お盆や正月は「家へ先祖の霊の戻って来る嬉しい再会の日であった」(「先祖の話」昭和21年)と書いている。