伊勢新聞

<まる見えリポート>玉城の歴史を小説で紹介 元新聞記者・外城田川忍さん、歴史の謎をひもとく

【遊郭として使われていた家屋を背に、自作「勝田街山壱楼」を手にする外城田川さん=玉城町田丸で】

江戸時代、徳川御三家の一つ紀州藩の飛び地として栄えた三重県度会郡玉城町。伊勢神宮に近く、参拝者を迎える宿場街としてにぎわったが、町が誇る歴史や文化を知る人は少ないとされる。そんな中、故郷の「まちおこし」の一環として、町を題材にした小説の執筆を手がける元新聞記者がいる。

作家は同町出身の元産経新聞社東北総局長、外城田川忍さん(69)=同町田丸=。平成28年から「勢州田丸・玉城三部作」と題し、町の歴史や文化をテーマに文筆活動を開始した。ただ、当初は小説を書くつもりはなかったという。故郷に戻ったのは親の面倒を見るためだ。

「小説を書きたい」と思ったのは、玉城の歴史や文化について「自分も含め、知られていないことが多い」と気づいたため。同社の編集委員を務めていた平成21年ごろから、邪馬台国などをテーマにした歴史ミステリー短編小説を趣味で書いていたこともあり「自分にできることは書くことだけ」と思い直し、本格的に小説の執筆を始めた。

昨年8月、処女作「鳥名子舞」を500部出版。伊勢神宮に仕えた未婚の皇女「斎王」にまつわる歴史ミステリー小説で、玉城町矢野地区に伝わる伊勢神宮への奉納舞「鳥名子舞」を取り上げた。舞の起源や実態は不明な点が多いが、明治6年に途絶えるまで1000年以上の歴史を持つという。

外城田川さんは「歴史には謎が多く、小説家にとってはかえって取り組みやすい。その謎をひもとく取材は、隠れていた事柄を浮かび上がらせる新聞記者の調査報道に似ている」と振り返る。同書は出版から1、2カ月で完売。その後鳥名子舞の起源となった矢野地区にある伊勢神宮内宮の摂社・田乃家神社は参拝者が増えているという。

一方、今年6月には昭和30年代初頭まで田丸地区にあった遊郭をモデルにした第2作「勝田街山壱楼」を500部発行。勝田町は勢州田丸領の城下にあった小字だ。辻村修一町長が外城田川さんに「勝田町なんとかならへんか」と打診したのが始まりだった。

遊郭で生まれ育った男性の恋愛を中心に、人生の機微を描いた作品。田丸地区にはかつて遊郭を営んでいた家屋が現存しており、実家が遊郭を営んでいた複数の関係者に取材し、少しずつイメージを固めた。

外城田川さんは「実存する遊郭は日本三大遊郭に数えられた伊勢の古市にも残っておらず、貴重な歴史文化遺産。関係者はあまり語りたがらなかったが、歴史の事実として後世に伝えるべきだと考えた」と話す。

三部作の最後を飾るのは、名奉行として名高い大岡越前守(1677―1752)と江戸幕府八代将軍・徳川吉宗の出会いを描いた「大岡越前守ビギニング(仮題)」。吉宗の母は田丸領出身と設定した上で、大岡越前守が伊勢市御薗町の山田奉行を務めていた頃、吉宗と出会って江戸南町奉行に抜擢された経緯を明らかにする。現在制作中で、ほぼ書き終えている。

外城田川さんは「小説の醍醐味(だいごみ)は歴史の創作。謎を埋めていく過程は記者の取材と同じだが、フィクションなので自由度が高い」と語る。その上で「だからこそ小説には読者を納得させるだけのリアリティが求められる。次作は三部作の集大成にふさわしい作品に仕上げる」と張り切っている。