伊勢新聞

2019年7月21日(日)

▼三谷哲央県議が高橋千秋氏後任の参院選出馬を打診されたと本紙企画『参院選みえ・攻防の裏側』で述懐している。高橋氏が敗れたのは六年前だから、後任出馬となると今回選だが、打診は敗戦直後ぐらいか

▼国会議員秘書経験の県議はほぼ例外なく国会を目指す。「本当に必要とされるかが大事」など、一晩考えて断ったというが額面通りかどうか。続く「自分の気持ちだけでは判断を誤る」という情勢分析の方に本音が見え隠れするが、当時65、六歳。参院議員を目指すこと自体には違和感はなかったのではないか

▼五五年体制下では県は自民王国。参院も保守分裂以外は二人独占状態で、県議のベテランが〝最後のご褒美〟に参院公認候補になるという不文律があった。斎藤十朗元議長も、昭和44年衆院選に落選。雪辱を期していた三年後、父昇元厚生相の急逝で急きょ参院補欠選に出馬した。32歳の異例の若き参院議員の誕生だ

▼当然、不満の古参県議は少なくなかった。特に四期目。「三期の約束。補選の期間は別にしても、前回で終わりのはず」と公認が遅れ、そう書いたら「あれは違う。約束ではない」と本人から抗議された。党参院幹事長、同会長を歴任しながら「若殿」の異名は消えなかった。参院でも若さへのある種空気を物語る

▼斎藤氏が参院改革に傾けた情熱は一つにはその反発ではなかったか。志からさらに遠のいて見える現在だが、今回は事実上45歳と44歳の戦い。若い力が躍動し改革へ。三谷県議もそうあらねばならぬ時代だと、過ぎた昔をかみしめているのではないか。