伊勢新聞

2019年6月4日(火)

▼人は同じような窮地に追い込まれれば同じような行動を起こす―という一面の真理が証明されたに過ぎない、としたり顔で言う気にはなれない。元農林水産事務次官が長男を刺殺するという事件は衝撃だ。知性も知識・教養も、家族問題で破滅を選択する何の歯止めにもならなかった

▼44歳の長男は引きこもりがちで、というのは元次官の説明で、5月下旬から同居し妻と3人暮らしになったが、近所の人は姿を見かけたことがなかった。当日は隣の幼稚園が運動会で、その音がうるさいと腹を立てたことが元次官に川崎市の殺傷事件を思い浮かばせたらしい

▼家庭内暴力もあり「息子が周囲に危害を加えないようにしようと思った」と供述している。刺殺の動機ということのようだが「殺すしかない」との趣旨のメモ書きもあった。運動会のいさかいは単なるきっかけのようでもある。長男は最も危険な父親との同居を選択してしまったのではないか

▼筆者の母は六年前95歳で逝ったが、弟の障害のある長男を親類の集まりなど人前に出そうとしなかった。〝身内の恥〟とし、さらすことを嫌った。その意識は今も日本の社会の中に強く、本人や家族を孤立に追い込んでいる。元次官の供述にもその痕跡がうかがえる

▼長男の方はオンラインゲームの有名人で「元事務次官の愚息であります」と名乗り「凄い人でしょ。国家レベルの人」とも。非難もしているが、44歳の〝愚息〟としては平均的感想ではないか。ゲームにログインしたまま死亡したという。無理心中以上の身勝手な子殺しという印象が拭えない。