伊勢新聞

2019年4月19日(金)

▼昭和、平成を生きたが、昭和天皇の記憶となると、地方巡幸の沿道で日の丸を振ったことだけだ。ホテルのバルコニーから帽子を振る姿に万歳した気がするが、その後同じようなニュース映像を何度も見たせいで、自分の記憶かどうかの境界がぼやけた

▼今上天皇は皇太子時代のご成婚の記憶が最初だが、小学生であり、直接ではなく母を介しての記憶だ。「皇太子が恋愛結婚って、嫌ねえ」と母の姉と話していた。祝賀の華やかさとは別に、皇族ばかりではなく、国民の受け止め方にも戸惑いが少なくなかったのだろう

▼身近に接したのは、昭和59年に志摩郡浜島町(現志摩市浜島町)で開かれ第4回全国豊かな海づくり大会に皇太子ご夫妻が出席したのを新聞記者として取材した時だ。前後はすっかり忘れた中で、そこだけスポットを当てたように覚えているのは、式典の終わりころ幼い女の子がするすると歩み寄ったことだ

▼何かの演出かと周囲を見回したが、直感はハプニングと告げた。美智子妃が小腰をかがめて話しかけられ、皇太子がやさしく見守るのを慌ててシャッターを切った

▼その後皇后になられた美智子さまが声を失われた時は、何事にも真摯に向き合う姿勢を思い浮かべた。平成3年の雲仙普賢岳噴火の避難所訪問以来、床にひざをつき、被災者を見舞う姿に、豊かな海づくり大会でのお二人を重ね合わせた

▼両陛下が神宮への退位報告に天皇皇后として最後の訪問をされた。新元号発表で国をあげての祝賀ムードが続くが、残りわずかな平成の一日一日を静かにお二人をお送りする日々にしたい。