伊勢新聞

2019年1月20日(日)

▼「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」は、ナチス抵抗運動の指導者でドイツ・ルター派牧師マルティン・ニーメラーの言葉に由来する詩だ。「私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから」と続く

▼社会民主主義者が牢獄に入れられた時も、労働組合員が攻撃された時も声をあげなかった。「私」がそのどちらでもなかったから。「そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」。米海兵隊の輸送機オスプレイが米軍普天間飛行場から2月、伊勢市小俣町の陸上自衛隊明野駐屯地に飛来すると聞いて、その詩を思い出した

▼沖縄配備は平成24年10月。当時の仲井真弘多知事をはじめ県民反対は強かったが、関心は通り一遍だった。直前にモロッコ沖と米フロリダ州南部で墜落事故を起こしていたが、原因は人的要因で「安全性は十分に確認された」と防衛、外務省が太鼓判を押した

▼あえて異議を唱えなかったのは身近な問題ではなかったからだ。26年、岩国基地から普天間に向かう途中プロペラ二枚が破損したが、落雷のため。死者1人を出した翌年の事故は着陸の失敗

▼28年は沖縄本島の東海上で空中給油訓練の機体が浅瀬に着水し大破。別の機も同日、装置不具合で基地内に胴体着陸した

▼ニーメラー牧師は「やや不安になったが」と前置きし「声をあげなかった」と語っていた。オスプレイの事故は「やや不安」にさせるのに十分だったが、正面から向き合わなかった。そして―、明野駐屯地にオスプレイが飛来する。配備の可能性を含んで。