長年放置されてきた違法状態に突然終止符が打たれた。三重県伊勢市の路上を不法占有していた石灯籠。今年4月、県道沿いの石灯籠に路線バスが接触し、弾みで落ちた上部の直撃を受けた男性=当時(81)=が死亡した事故を受け、県などは11月末までに、事故時にあった500基余りを全撤去した。倒壊の危険性を指摘されながら管理者不在のまま放置され続けた末に起きた死亡事故。事故を起こした元バス運転手には裁判で有罪判決が下ったが、行政責任は曖昧なまま。全国的には行政が公道上に立つ石灯籠を管理する自治体もあり、県などが今回の死亡事故をどのように総括するのかが問われそうだ。
事故は4月14日午前9時55分ごろ、同市楠部町の県道で発生。路線バスが高さ約2・5メートルの石灯籠に接触し、上部(約170キロ)が近くにいた男性の頭を直撃した。運転手が自動車運転処罰法違反(過失運転致死)の罪で起訴され、津地裁で有罪判決が下されている。
一方、地裁は「時速10キロ程度で構造物に車が接触した場合、重大事故につながることはまれ。事故は上部がモルタルで簡易に接着されていた石灯籠の安全でない構造にも起因している」と指摘した。
県などによると、民間団体の「伊勢三宮奉賛献灯会」が昭和30年に寄付を募り、高さ2・5―6メートルの4種類の石灯籠を建立。寄付者には岸信介元首相など、著名人が名を連ねる。当初は伊勢神宮内宮別宮・伊雑宮(志摩市磯部町)まで石灯籠を置く計画だったが、実現しなかった。
伊勢市内に残された石灯籠は献灯会が道路の占有許可を更新しなかったため、32年からは不法占有状態が続いた。39年には献灯会が解散。引き取り手がないまま放置されるようになった。
灯籠は老朽化が進み、災害時には倒壊の恐れが指摘されていた。そのため、道路を管理する国、県、市は平成25年から安全点検を実施。ぐらつきや傾きのある石灯籠をその都度撤去してきたが、管理者を立て、違法状態を解消するなどの根本的な問題解決には動かなかった。
「現実的に考えると、管理者は行政しかいないが、災害時に倒壊することなどを考えると責任が取れないので話が進まなかった」。関係者は内情をこう明かす。存続を望む声もあり、撤去にも踏み切れなかった。打開策を見いだせない中、問題解決は先送りされた。
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一方、第二次世界大戦末期に特攻隊の出撃基地があったことで知られる鹿児島県南九州市知覧町では、市が町内にある1300基の石灯籠を管理している。うち800基が市道、県道沿いに立地。市は県道沿いの石灯籠に関しては、県から道路占用許可を得ている。
市営知覧特攻平和会館によると、特攻で戦死した隊員の遺族が昭和30年、慰霊碑として当時の知覧町に石灯籠を寄贈したのが始まり。高さは約2―4メートル。遺族以外からの寄贈もあり、年々増えていたが、設置場所がなくなったため、ここ数年の新設はない。町が設置・管理し、合併後は南九州市が引き継いでいる。
車がぶつかる物損事故は年に一回ほどあるが、人身事故は過去にないという。市は不定期に安全点検を実施し、ぐらつきがあるものは補修してきた。慰霊碑として建立した経緯をくみ取り、ぐらつきや傾きがあった石灯籠も補修で安全性を強化している。老朽化で撤去した灯籠はない。
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危険性を指摘されながら長年放置された伊勢市の石灯籠。死亡事故を受け、県などは「人命には代えられない」として即撤去に踏み切ったが、問題解決を先送りしたことが悲劇を招いたのではないか。
県などは現在、撤去した石灯籠の処分方法を検討している。撤去してこの問題を終わりにするのではなく、人が一人死亡した事実を重視し、これまでの経緯を踏まえ、なぜ事故が起きたのかを検証し、総括することが求められている。