伊勢新聞

<まる見えリポート>旧民進党分裂から1年 三重県内勢力維持へ正念場

【参院選に向け気勢を上げる三重民主連合のメンバーら=四日市市内のホテルで】

昨年10月の衆院選を契機に民進党が分裂して1年が経過した。中央政界では国民民主党、立憲民主党、無所属に分かれ、今なお再結集の気配は見えず。一方、県内では旧民進勢力の事実上の受け皿として、地域政党「三重民主連合」(会長・中川正春衆院議員)が設立し、来夏の参院選に向け候補者擁立も果たした。ただ、先行きに不透明感も漂う。来年は春に統一地方選もある選挙イヤー。地域政党のまま国政選挙を戦うことへの不安感も根強く、見通しが立たないまま結集が維持できるのか、正念場を迎えている。

11月24日、四日市市内のホテルで予定されていた国民民主党県連(金森正代表)の発足後初の総会が、直前になって突然中止となった。中止の報を受けた関係者によると、「諸般の事情に鑑み」とのことだったというが、1カ月も前に決まっていた会合。「なぜ突然に」と困惑を隠さない。

旧民進の分裂により、国民民主が旧民進の受け皿となり、全国の県連で組織の移行が進められてきた。三重県連も5月に発足した。

ただ、県内では旧民進勢力の再結集を目指すとの立場で、無所属議員となった岡田克也衆院議員や中川氏らの音頭で三重民主連合が設立。旧民進県連のメンバーはほぼ同連合に移り、政治活動の大動脈となっている。

そこで微妙な立場となっているのが国民県連だ。旧民進の受け皿組織というのはもはや有名無実化している上、活動は抑制されている。

もともと、県内では国民県連の設立は「しぶしぶ」だった。組織移行上、やむを得なかったとはいえ、設置をめぐり国会議員同士のあつれきも生んだ。

最終的に県連設置は「それぞれが気を使いながらやろうということで」(中川氏)と、必要最低限の活動が条件となった。

ならば、国民だけでなく立民県連も立ち上げればいいのだが、それでは三重民主連合が骨抜きになる恐れがある。そのため、立民県連の設立は抑えられている状況で、いまだ地方組織がないのは三重などわずか十県だ。

これもひとえに、岡田氏らが目指す来るべき中央の「再結集」を視野に入れているから。三重ではひと足先に三重民主連合をつくり、イスを温めて待っている状態。だが、こうした動向が結局分かりにくさを生んでいる。

国民県連の総会中止も、関係者は「民主連合が圧力をかけたわけではない」とと否定するも、「出すぎないよう、気を使ったのでは」との見方がもっぱらだ。

国政政党の存在が半ば伏されているという不可思議な現状に、統一地方選の出馬予定者は「何がどうなっているのか、私らが分からないんだから、一般有権者はもっとわからないだろう」とこぼす。

特に国政選挙の参院選は深刻だ。連合は傘下の産別労組で国民、立民と支持政党が違う。このまま中途半端な状態で推移すれば、士気に影響するのは必至だ。

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肝心の再結集はあるのか。年末にかけて岡田氏や中川氏らの衆院無所属の会と、立民との統一会派結成に向けた動きや、新党結成などが報じられているが、そもそも岡田氏らは立民と国民の橋渡し役をするとのことだった。しかし、両党の溝はむしろ深まっていると見られている。

中川氏は「統一会派などは選択肢の一つだが、参院選に向け結集の流れはつくりたい。作らなければならない」と述べ、なお再結集への意欲は示す。三重民主連合についても「中央の先駆けとして役割を果たしたい」と強調する。

一方、先祖返りのようなな再結集には懐疑的な声もある。旧民進関係者は「分裂はなるべくしてなった。大義なき結集にいつまでこだわるのか。限界にきているのではないか」と指摘する。

民主王国を作り上げ、政権交代の原動力にもなった三重。その栄華を取り戻す道のりは険しい。