伊勢新聞

2018年6月25日(月)

▼馬は鼻、人は胸といわれる。世古和さんはしかし、かなりの前傾姿勢でゴールに飛び込んだ。頭から突っ込むような勢い。一塁ベースにヘッドスライディングする、そんな高校球児の死にものぐるいの闘いと重なって見えた

▼陸上日本選手権の女子100メートル決勝である。絶対女王の福島千里選手と、昨年女王の市川華菜選手を左右に見ての第5レーン。スタート前の実況は「第6レーン福島、一人おいて市川です」と紹介していた。聞こえたわけではないだろうが、スタートで前に出て、一度もトップを譲らず、意地のゴールを駆け抜けた

▼隣の福島選手からのプレッシャーを聞かれ「そうですね」と言ってすぐ「でも」。「自分自身との戦いが課題でしたから」。冷静のように見えるとも言われ「そんなことはないですよ」

▼飛び上がるわけでも、バンザイやこぶしを突き上げるでもない。電光掲示板で1位を確認して「やったー」と、小さく口を動かしただけである。「夢のようです」という熱い気持ちは、ゴール前のあの前傾姿勢で一瞬、顔をのぞかせただけかもしれない

▼高校、大学とチャンピオンになりながら、けがに苦しんできたというが「他の人よりもたくさん失敗したことが今日につながった」。幼少から続けた器械体操を中学2年に大けがして断念したことも、それで陸上を始めて今がある、と

▼世古さんの優勝を祝福しながら、福島選手の目はうつろだった。笑顔で握手を交わした市川選手も「悔しい」と語っている。「日本女子全体で一緒に頑張っていきたい」という世古さんとの新たな死闘が始まる。