伊勢新聞

2018年6月21日(木)

▼データ放送の終了に「(県)情報を入手する媒体はデータ放送導入時に比べて多様化している」と県議会常任委で、県当局は言ったそうである。「導入時」は平成28年度で2年少し前だから、見通しの悪さは恐るべし。だから―。許認可権を背景に業者から寄付金を出させるぐらいにしておいて、県は、事業に手を出すべきではない

▼昭和40年代に盛んに開発された集合住宅による大型団地開発で、情報伝達手段としてCATVが注目された。何1千億円市場などともてはやされたが、地域や買い物情報を文字情報として伝える仕組みは需要が伸び悩み、事業として低迷した。息を吹き返すのは映画の旧作が放送できるようになってから。いかに魅力的なコンテンツを用意できるか。単なる文字情報ではニーズを喚起できないことは半世紀前に分かっていた

▼「これまで認知度向上のための普及啓発活動を行ってきたにもかかわらず」年々利用率が低下したというのもとぼけているのかどうか、県らしい的外れな釈明である。認知度を向上させても、魅力のないチャンネルが見られるはずもない。県データを網羅した県民手帳に一定の需要があるのはなぜか、考えてみたこともないに違いない

▼費用はかけたが効果なしで三十六計、誰も責任を取らず幕引きするのだろう。同じRDF(ごみ固形燃料)発電事業の場合は、その上に市町に支援金を出す。「事業終了後の円滑なごみ処理支援」など交付金の対象外でも、「県の役割」という独自の解釈である。事業のノウハウは拙いが、税金を使う理屈のなんと巧みなことか。