伊勢新聞

2018年4月1日(日)

▼「出る所へ出ようか」というのは、長屋の八っつあん、熊さんのけんか。出る先はお奉行所だが、江戸時代の奉行所は大岡政談のイメージとは大違い。厳しい詮議で負けたらもちろん、勝っても無傷ではすまない怖いところで、そんなところへ出てもいいほどだと覚悟を示す決めぜりふだと、何かで読んだことがある

▼「ごめんで済むなら警察はいらない」は、謝れば罪が帳消しになるとでも思っているのかという言い回し。警察が怖いところだというのがお互いの了解事項で、出る所へ出ようも、最近は警察に行こうという意味になる。「おまわりさんに言いつけるよ」「おまわりさんに連れて行かれるよ」は、言うことを聞かない子どもを脅す母親の言葉だったが、最近はどうか

▼何しろ、備品の乾電池計4400本を長年盗んで換金していた警察官らが「反省している」からと起訴猶予処分になったのだ。謝ったからと、罪が帳消しになってしまった。身内に甘い体質というだけではない。日本の伝統文化への破壊行為と言えないか

▼当初は子どものゲーム機用などにくすねたという供述が、見苦しい。処分に困って転売したというのも、処分に困るほど盗む必要があったのかと首をかしげたくなる。何だかうそくさい。取り調べの専門家に異を唱えるようで恐縮だが、しっかり裏を取ったのか

▼「そうか初めは子どものためにか、とさしもの鬼の刑事も目に涙」は戦前の紋切り型記事の典型。出来心を悔いる庶民を解き放つのは遠山の金さん。庶民ではなく、官吏がその恩恵にあずかっているのが、平成の復古草子か。