伊勢新聞

2018年1月3日(水)

▼イヌ年だというのに、元日に続いて猫の話を書くのは犬派としては気が引けるが、猫年がないのはなぜかを、誰もが知っている昔話を軸に解説する元日付の全国紙で見たからだ。神様が年ごとのリーダーを決めるため動物を集めた物語だが、追跡型の足を持つ犬がビリから2番目という長年の疑問に何も応えてくれていないのは、やはり〝義理を欠く〟のではないか

▼物理学者の寺田寅彦に「ねずみと猫」の随筆がある。4章からなり、書物や衣類を食い荒らし、特に夜間天井を我が物顔に走り回るネズミにいかに悩まされるか、年配者なら覚えのある話が1章を占める。2章で、床下で子を産んだ大嫌いな猫が登場する

▼飼おうという家族の希望を断固拒絶したのに、猫を譲り受けてきた話が3章からだ。のち子猫が加わり、2匹を巡る悲喜こもごもが第4章へと続き、秋の夜、縁側に座り、月光に照らされた庭を見る2匹に「幽寂を感じ」る場面で終わる。ねずみについてはこの直前になって猫が捕らえるところを見たことがないこと、天井が静かになったことがわずか2行、触れられただけだ

▼日本の師弟愛の中でも最も細やかで知られる師の夏目漱石の『吾輩は猫である』に一言も言及がないばかりか「人間の心で測り知れられぬ別の世界から来ている」として猫を記録し続ける決意をし「このような心持ちはおそらく他の家畜では起こらない」とまで書く

▼中国・漢の武将韓信の「狡兎死して走狗烹らる」と相まって、なじみのない猫が犬に取って変わっていく猫の文化史、人間の心理の移ろいを見る思いがする。