伊勢新聞

2017年12月10日(日)

▼女子学生へのセクハラで三重大学が懲戒処分にした男性特任教授は、聞き取りに「親愛の情があったので抱きついた」。体を触ったことは否認したという。セクハラとされては心外ということだろう

▼「抱きついた」か「体を触った」かはともかく、加害者と被害者で事実関係におおむね違いがないのがセクハラである。親愛の情からで、体を触ったとされるのもその一環。すなわち解釈で争われるのがセクハラの特徴でもある

▼同大学の「セクハラ防止対策ガイドライン」がそんな解釈を後押しする。職員の「基本的な心構え」として「相手の判断が重要」としながらも、理由は「受け止め方には個人間や男女間,その人物の立場等により差がある」からだと説く

▼だから、相手が許容する、良好な人間関係ができているなど、勝手な「憶測、思い込みをしないこと」。適切な臆測や思い込みならOKだと裏読みできないか

▼「相手が拒否し,嫌がっていることが分かった場合には決して繰り返さないこと」ともある。分かったらやめればいい―。セクハラを受けたら職員は嫌だと「明確に意思表示をすること」というのもある

▼嫌がっているのに強要するセクハラはむしろ少ない。長い人間関係の中で軽微な言動として表れる。被害者が迎合的な態度をとることも職場の上下関係、大学などの権力関係ではしばしばみられる

▼大学が「体を触った」かどうかに言及したのはセクハラの判断基準としたからだろうが、必ずしも「わいせつ行為」を意味しない。大学や職員の思い違いが、セクハラが絶えない理由かもしれない。