▼民進党公認予定候補四人の対応が決まった。一番に希望の党からの出馬を表明していた2区の中川正春氏が一転無所属を表明するなど、日々目まぐるしく情勢が変わる六日間だった
▼結果的に、岡田克也元代表の無所属出馬表明とともに、三氏が決断したことになる。日本新党を国政への第一歩とした中川氏は解党とともに新進党に合流して衆院議員当選。以来、国民の声、民政党、民主党と、岡田氏と行動を共にしてきた。ここでたもとを分かつのはいかにも不自然だったが、岡田氏とは「頻繁に連絡を取っているが、だいぶ迷われていた」。岡田氏を語り、自身を語ってもいたのだろう
▼維新の党出身の松田直久氏が無所属を決断したのは、ある意味中川氏以上に驚かされた。自民党の田村憲久氏はすでに松阪から津市に攻め上がり、活発に浸透活動を進めている。出遅れながら小選挙区で勝利しなければ議席を守れない背水の陣に、好むと好まざるとにかかわらず身を置くことになる。そして藤田大助氏
▼「大きな政治の流れの中、希望の党で取り組んでいこうと決意した」という決意表明に祖父の元自民党幹事長、故藤田幸英氏の顔が重なる。党の要職を歴任しながら、これからは民主党の時代だとして、自ら裏方となり送り出した
▼「岡田氏の支持」が最低条件だったが、大助氏の条件はどうか。三分した候補者を人物本位で支えるという岡田元代表だから「排除の論理」を頭から否定するものではあるまい。選挙後の野党再編のもうひとうねりをにらみ、県の民進党勢力が〝岡田王国〟なのは変わらない気がする。