伊勢新聞

<修好130周年・交流する日タイ(下)>民間交流は600年前から 桑名のヤマモリ、タイ料理広める

【日本人町の跡と記された石碑=アユタヤで】

日本とタイは、皇室と王室、行政同士が交流を始める前から、民間レベルでのつながりを持っていた。その交流は600年前にまでさかのぼることができる。そして、現在でも民間企業の進出や社会貢献活動を通じて、民間レベルの交流は生まれている。

首都バンコクから北約80キロに位置するアユタヤは、かつてタイの首都だった街だ。日本が江戸時代だったころ、タイはシャムと呼ばれ、東西の国々の交流地点としての役割を担った。日本人も移り住んでおり、王朝から与えられた土地で日本人町を形成していた。

日本人町は最盛期には1000―1500人の日本人が生活したと言われる。江戸時代に朱印船でタイに渡った山田長政は日本人町の頭領で、現在の日本人町跡でも代表的な日本人として紹介されている。アユタヤ国王に高官に任ぜられ、王女と結婚したという伝説もある。

現在、タイと日本の民間レベルの交流は、企業や団体が主導している。三重県内にも両国の懸け橋となっている企業がいくつかある。鈴鹿市の本田技研工業はタイを含めたASEANから学生を受け入れて研修の場を提供。桑名市の老舗醤油(しょうゆ)メーカー「ヤマモリ」はタイ料理を日本で広めた。

本田技研工業の創業者本田宗一郎氏らは昭和60(1985)年から、IATSSというプログラムを開始。これまで約850人の若者を東南アジア諸国から受け入れ、リーダーシップを育成。参加したタイ人の中には、いまや文化大臣など高官となっている人物もいる。

桑名市に本社を置く「ヤマモリ」は、平成初頭からタイに進出。醤油の現地販売を目的とした販売会社「ヤマモリトレーディング」を平成七(1995)年に設立した。現在、タイ国内で、日本式しょうゆの同社シェア50%と、圧倒的なシェアを誇っている。

同社とタイとの関係は、商品販売にとどまらない。日本語とタイ語でデュエットしようと、商品にちなんだ「ヤマモリタイカレーの歌」を作成。タイ現地法人の事務所や工場で、日本人とタイ人の社員が一緒に歌うことで、一体感や同士感を醸成する狙いがあるという。

日本国内では、タイフードのレトルトパウチなどを販売し、タイの食文化を広めてきた。今年は日泰修好130周年に合わせて限定商品も発売。三林憲忠社長は「タイと県が交流を深める中、三重に本社を置く会社として、積極的に応援したい」と意気込む。

日本とタイはその長い歴史の中で、皇室と王室、行政間、民間などそれぞれの立場で交流が続いてきた。仏教国であることや皇室と王室という類似した構造を有していることから、国民の中で親近感が醸成され、9月で修好130周年を迎えることになる。

一方で、中国の影響力は否定できない。タイへの観光客数は日本の6倍以上。民族的なつながりもある。日本とも中国とも関係を築いているため、タイ外務省東アジア局のシントン・ラーピセートパン局長は「日中関係がうまくいけばよいと思っている」と述べた。

それでも、シントン局長は「王室と皇室の関係で特別な気持ちが基盤にあり、日本は他の国と少し違うという思いが強いと思う」と親日感情を強調した。

130周年の節目に両国関係の今後の展望を聞くと、シントン局長は「日本はこれまでタイに無償で技術協力してきた。今度はタイと日本が一緒になって、東南アジア周辺国が良くなるようにしていきたい」と語った。