伊勢新聞

<修好130周年・交流する日タイ(上)>皇室と王室、世代交代へ 昨秋に国王死去で喪に服するタイ 日本は退位特例法

【日陰で休憩する外国人観光客(手前)と参拝に来た喪服姿のタイ国民=首都バンコクのワット・プラケオで】

東南アジアの立憲君主制国家タイ。日本とタイが国交を結んでから9月で130周年を迎える。両国の外交関係は、明治天皇と当時の国王ラーマ5世の時代に正式な国交を開始して以来、皇室・王室の親密な関係を背景に保たれてきた。昨秋のプミポン国王(ラーマ9世)の死去や、天皇陛下の退位を認める特例法の成立で、皇室・王室は、くしくも同時期に世代交代を迎えようとしている。

プミポン国王の死去から9カ月が経過した7月、記者が見たタイ国内は静かに喪に服していた。公共施設は喪章を掲げ、公務員らは白黒の服装で業務にあたっていた。観光に影響が出ない範囲で、国王の死を悼む姿勢を崩していないようだった。

タイでは、敬愛する国王の肖像画を道沿いに掲げる風習がある。人気の国王は近代化に貢献したラーマ5世とプミポン国王。亡くなる前は、きらびやかな金の縁取りの肖像画が立ち並んでいたが、今やそのほとんどが黒を基調とした質素なデザインに変化した。

タイの代表的な観光スポット「王宮(ワット・プラケオ)」は、カラフルな衣服をまとった外国人観光客と、国王の遺体に参拝するため喪服姿のタイ国民でごったがえしていた。カメラを構える観光客の傍らで、タイ国民らは参拝の順番を静かに並んで待っていた。

タイ国民が喪に服している間に、日本では、天皇陛下の退位を認める特例法が成立した。昨年8月に、天皇陛下がビデオメッセージで生前退位の意向をにじませたことに端を発する。両国の友好関係を象徴してきた皇室と王室は、大きな変化を迎えた。

日タイの国交は、西欧列強の植民地化に揺れる中で、始まった。タイは日本が東南アジア諸国の中で初めて外交関係を結んだ国だった。現在の皇室と王室の良好な関係は、川魚ティラピア(プラーニン)にまつわるエピソードでタイ国民に知られている。

プミポン国王が国民のタンパク源不足を解決するため、ティラピアを研究していたところ、天皇陛下がより繁殖力の強い種50匹を贈られ、国王が繁殖させて食用としてタイ国内に広めた。現在も各地の水産研究所でより繁殖力の強いティラピア種の研究が続いている。

タイ国内のこの1年間の変化について、現地在住29年の神原彰三さんは「(国王が死去した)10月以降、大半の催しが中止になった。最近になって、薄れてきたが、葬儀のある10月ごろになるとまた国王を悼んで自粛する雰囲気が出てくるのだろう」と語った。

葬儀は10月25―29日に首都バンコクで予定されている。その後、両国の皇室・王室の世代交代により、関係に変化は出てくるのだろうか。記者の懸念に「変わらないと思う」と楽観的な見方を示したのは、長年皇室と王室の通訳を務めていたプッサディー・ナワウィチットさん。

「皇室と王室は明治時代から交流が続いてきた。(プミポン国王の死後即位した)ラーマ10世は皇太子時代に来日経験があり、東宮(現皇太子)さまも何回かタイへ来られた。今後も関係は変わらない」。

両国の関係は、皇室・王室の親密な関係に加え、長い歴史の中で、行政や民間レベルでも、人と物が行き交ってきた。その歴史を踏まえつつ、三重とタイとの交流の現状を見てみたい。