伊勢新聞

2017年7月10日(月)

▼元県総務部長の村尾信尚氏が鈴木英敬知事との対談で「人生を変えたのは三重県」。カラ出張問題を処理し、北川改革を進めたことか、報道界への〝華麗なる転進〟か。知事選を戦った野呂昭彦前知事が「キャスターの方が向いていたのではないか」と言っていた。耳に届いていたらコメントは違っていたかもしれない

▼大蔵省でもえりすぐりのエリートが着任する県総務部長の中で一風変わってはいた。一橋大卒で、スキー事故で一年ほど休職。「大きく出遅れた」と出世への関心は薄く、新幹線で美人を見ると「ついていきたくなる」「ついていったらどうなるか、考えてしまう」。迷いが言わせたか

▼二年慣例の中で三年滞在。知事後継のうわさも出たから、北川正恭知事の辞意で注目されたのは自然。固辞から一転したのは北川氏の強い要請があったためとされるが、期待をにじませていた北川氏は野呂前知事出馬とともにぴたりと動きを止め、知事選は惨敗

▼元県総務部長と松阪市の建設業者とが「友人」というのもそんな経歴からか。部落解放同盟県連委員長も村尾氏の選挙に奔走していた。連合から苦情がきても「友人として個人で応援している」

▼が「別動隊として頼む」と言われたそうで会合で同席することはなかった。部落差別意識が強い県職員の中にいた上「しょせん高級官僚だ」といさめたたことがあるが「オレが一方的に友人と思っているのでいいのさ」

▼キャスターぶりは一度も見たことがないが、久々にその名を聞き、心なしか声が低かったあの時の声を思い出す。小さな胸のうずきとともに。