▼作家杉本苑子が昭和十八年、東京・神宮外苑競技場の学徒出陣壮行会で感動に燃え、泣きながら行進に添って走ったことは、二十年後に同競技場の地に建設された国立競技場で東京五輪開会式の探訪記とともにNHK番組で報じていた
▼「同じ若人の祭典、同じ君が代、同じ日の丸でありながら、何という違いであろうか」と。脳裏に浮んだのは映画監督伊丹万作が同二十一年に書いた「戦争責任者の問題」。だまされたと言って、だましたと言う人がいない。自分が圧迫を受けたのは軍や官ではなく近所の商人、隣組長や町会長など身近な人々だが、みんなだまされたと言って平気なら「今後も何度でもだまされる」「すでにだまされ始めているにちがいない」
▼松本清張は同三十八年に政財界の闇を背景に『けものみち』を書いた。翌年に東京五輪を控えた政財界を描写したといわれる。学徒出陣壮行会の感動も、東京五輪のそれも、学徒や選手を素材に、どちらも国民の高揚感を引き出し、国策に役立てようとする演出家に踊らされていたことで共通してはいないか
▼リオ五輪閉会式に人気ゲームのキャラクター姿で登場した安倍晋三首相は、憲法改正の発議について「五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本が新しく生まれ変わる大きなきっかけに」。改正組織犯罪処罰法も「オリンピックのため」
▼鈴木英敬知事は「国民の理解が十分ではない部分もある。丁寧な説明を」。苦言にも受け取れるが「東京オリンピック・パラリンピックを控え、対策が必要であることは論をまたない」。踊らされてはいる?